国公立大学の合否を見て浪人時を思い出した話。

受験

はじめに

春になると、新たな生活を始める時期として様々な吉報を耳にする。その影で、吉報に恵まれなかった人も大勢いるはずだ。その一つに大学受験があるだろう。今回私はそれらを目にして自分の受験生時代を思い出した。それについてログのような感じで書き残していこうと思う。

私は、2019年の4月に大学に入学するまでは、一般的な人よりも2年長く受験生をしていた。志望校に入るまで、自分の望む通りの肩書を手に入れるまで、努力したかった。きっと、自分が納得するコミュニティに所属することができれば充実した人生が始まるはずである。そう一心に信じていた。

浪人スタート

現役時代の終わりと浪人生活の始まりは、寝坊した朝に告げられた。

忘れもしない3/8。某国立大学の前期試験の受験を終えた私は、狂う生活リズムで昼夜が逆転していた。気づいたらもう正午を回っている。合否のサイトにアクセスをし、そこで私の番号があるはずもないことを知った。私はそこで悲しむこともなかった。悲しんではいけなかったのかもしれない。努力しなかったのだから当然の結果である。むしろこれから挽回のチャンスがあることを楽観視していたのかもしれない。親には全く話していなかった。今思えばなんて傲慢な考え方だったんだろう。少なくとも費用がかかってしまう迷惑を、微塵も気にしていなかった。

後期試験は不合格だった。生半可な気持ちで受験して合格するわけがない。遠い四国まで受験に行かせてくれた親、受験料も合わせて一体いくらしただろう。高校生の自分が一人でどうこうできる額ではない。サイトで不合格を確認しリビングに出た時、両親の顔はくもり切っていた。震える私の手から、膝をつたってずっと寄り添ってきたスマートフォンが滑落していった。

予備校に従事した1浪目

1年目、私は予備校の寮で過ごしたが、そこではただひたすらにルーティンを過ごすことに従事していた。朝起きて朝食、学校に行き時間割通りに授業を受ける。ただそれだけの日々が過ぎていった。しかし別に一人ではなく仲間もできて、生活自体は充実していた。今まで受けていた高校の授業とは違う勉強の捕え方に感心し、幾度もブレイクスルーが起こった。その一方で駅や街角で他人に出会うことを強く嫌がった。たとえ相手が受験生でも、本屋で参考書を見ている自分を見られたくなかった。受験生だと思われたくなかった。私服で本屋にいたら浪人生だと思われるだろうか。そんなのは嫌だ。いい歳して何をやっているのか。自分自身が浪人生は受験に閉じこもっていると思っていたから。そんな時には部屋に帰って枕で窒息したがった。

初詣の道で帰省した同級生に会うのも、大学生の身なりをしている人を見るのも苦手だった。自分は学力でこの地元から逃げ出してお前らよりもっと高尚な大学生活を、人生を謳歌するんだと心で唱えた。

今思い出せば、その頃の自分が最も醜かったと思う。自分や自分の不満に全く関わりがない人に対して、楽しんでいる横からそんな視線を注ぐのだから。浪人は性格を歪めるというが、自分は間違いなくその通りの人間だったと思う。他人に対して色眼鏡をかけて見てしまうのだ。これには、受験というものの性質が深く関わっていると思う。受験をしている以上、偏差値という成績概念から逃れることはできない。全体のうちどこにいるかが明らかになる学力判定の仕組みだが、点数よりもその位置にこだわるため必然的に順序がうまれてしまう。それにのめり込みすぎてしまった結果だろう。職業病のようなものである。

夏季講習も冬季講習も大量のオプションをつけてもらったが、点数の安定しないセンター試験で大きな失敗をしてしまった。そこでB判定だったラインとの差が80点。前期試験は国立大学を頭下げて受けさせてもらった。

試験結果のサイトに飛んだ3/7。最低点との差は77点だった。通過点は侮ってはいけない落とし穴だったのだ。もともと38℃の熱を出して寝ていることが多い直前期だったこともあり、非常に悔しい結果となった。

後期試験は、合格するようにと大きくレベルを落として受験した。面接だったが自分がその大学を志望する理由など簡単に偽ることができてしまうものだ。センター試験の点数が高かったこともあり難なく通過した。

こうして、1浪目は悔いを残したままあっという間に過ぎ去ってしまった。もちろん北予備という厳しい環境の中で自分の成績は大きく上がっていったが、前期という一大イベントに失敗してしまったこと、完全には自分の成績に満足できていなかったことから心残りが生まれてしまったことは確かだ。

2浪目を始めようとするもぶつかった壁

仮面浪人として浪人生活をスタートさせた。後期試験に合格したのでその大学に通うことにした。自分はこの大学じゃなくてもっと有名でレベルの高い大学に通うんだと斜めに構えて過ごす大学生活が楽しいわけがない。授業が全て終わったら図書館に通い詰めた。そんな生活が長く続くはずもなく、入学して1週間で何も食べなくなった。体重は50Kgを割った。

サークルにも所属せず、友達はなく、いつも一人ぽっち。話しかけにくい雰囲気を作って人を離していたのだから当然だ。そのうち、ストレスが溜まり話せなくなった。大学にもいけなくなり5月の末に逃げ出した。

自分を内側に追い込めば追い込むほど何もできなくなっていく。今だからそう言えるが、その頃の自分は”そうだからこそそれに気づけない”状態だった。もっとも孤独な時間を過ごしていたその時間は無駄でしかない。

転機が訪れた

大学を辞めて自宅に帰ってきた自分を、家族は快く迎えてはくれなかった。大量の入学金や賃貸などのお金を投入して育てようとした我が子が望まぬ道を進みその投資を無にしてしまったからだと思う。教育失敗だ。父も母も私に対し頭を悩ませており遅い時間帯のリビングからは口喧嘩が聞こえてきた。独り身になった祖父の介護にも困っている両親を、自分はどうすることもできなかった。

私は、ここで自分に必要なのは、経済的に独立することだと考えた。経済的に両親が困っている今、自分にできるのは両親になるべく負担をかけないようにすることである。自分が一人で生活することができれば困らないはずだ。ならば自分で生活に困らないだけの額をすぐに稼げる手段はないものか。

検索を重ねた。

そういえば、予備校の寮時代に期間工(期間従業員)として勤務していた人がいたな。その人は自費で予備校に通っていた。そうだ聞いてみよう。

そうしてなんとか期間工の職業にありついた。中部地方のある県まで行った。仕事は決して楽ではなく、体が常に痛むほどの重労働(力が抜けない自分のやり方が悪かったのもある)だったが任期満了までやり抜いた。仕事に関しても、学びの場に関しても、高卒の人たちと関わる機会が初めてだったこともあり自分の学歴コンプレックスは炭酸ガスの如く抜けていった。労働の証としてもらえる給料が何よりの楽しみと誇りだった。

同じく期間工だった人(自分より20歳も年上!)からはやり直せるチャンスがある歳だから大学に行けと背中を押された。勉強のできる歳というものがあって、それを逃したら人生ずっと後悔するぞと。俺のようにはなるなと。

これが自分の転機となった。ブレイクスルーでもある。ここで変われなかったら次はなかったと思う。内向きな自分から逃げるように殻が破られていった。泣きながら電話したのは今でも記憶に新しい。「お父さん、自分、ちゃんと任期終えたよ、欠勤なんてなかった。ありがとう。本当にありがとう。」

再び自分は受験の道へ

もともと受験生だったから、受験生に戻らなくてはならない。就職する際に交わした親との約束だ。

もう自分に残された道は一つ。大学に行くことだ。正直どこでもよかった。自分の実力に合ったところでいい。自分の人生を2年遅れたがスタートさせるんだ。今度は環境じゃなくて自分が自分を高いところに連れ出すんだ。

受験生として勉強時間が足りなかったからか模試の結果は散々だった。だが、めげなかった。構うものか。判定Aからも落ちたんだから判定Eでも受かるんだ。

そして迎えたセンター試験。自分の心には好きな曲のメロディーがずっと鳴っていた。そのリズムにうまく乗れてセンター試験は最高点を獲得。ひとまず安心を勝ち得た。

大本番

前期試験、奮って受験した。とにかく難しいことは考えず、自分の持てるパフォーマンスを存分に発揮した。集中力を保ったまんま、自分はできるんだと信じて望んだ。難しいと言われた数学も自分に解ける問題は全て最後まで書いた。理科も英語も過去問に比べ癖はあったが解き切った。途中で鼻血が吹き出るなどのアクシデントに遭ったが、回答終了。

面接まで自分は落ち着いていた。だが、自分はそこである一つの質問に固まってしまう。

「何故前の大学を辞めてしまったのですか?」

痛い。心臓を持ち上げられたような感じだった。自分のものとしてではなく、面接官という他人の手に奪われてしまっているようだった。再び自分の過去が頭をよぎった。この面接官は自分の経歴をよく知らない。だから自分が逃げ出すような性格なんじゃないかと思っている。そうだ。これはただの揺さぶりやもしれない。落ち着くんだ。一旦落ち着こう。あくまでこれは面接だ。配点も少ししかない。言っていることが矛盾しなければまずはいい。自分は恐る恐るではあるものの答えを脳から口へと出力していった…

合格して3年の戦いは終わった

合格発表の日、自分の番号を見つけて安堵した。受かっていた。自分の努力はやはり無駄ではなかった。自分は成し遂げたんだ。やっとひと段落つける。腰を下ろして息を吐き出した。次の瞬間には2階からリビングに走って降りてゆく。お母さん!やったよ!受かったんだ!

次の日にはマンションの契約に新幹線で向かった。その他高校の時の恩師に連絡したり、職場の人に挨拶をしたりで非常に忙しかったが、とても幸福な時間だったと記憶している。とりあえず大学に行ければいいとは言ったものの、志望校に受かって本当によかった。

少しして入学関係の書類が当着すると、いよいよ自分は大学生になるんだなという気になった。合格証明書や待ちに待った第二外国語の選択用紙が入っていてテンションは上がっていた。

合格後に思うこと

大学に合格すると、少なからず嬉しいものだ。それが浪人生ならば、止まっていた時間が動き出したような気がして一層その気持ちを強く噛み締めることだろう。実際、自分が現役の時は落ちてしまってお先真っ暗な気分でいた。自分はこれから何をしていけばいいんだろうという迷いと無力感に襲われていた。でも、そんな自分を変えていくのも自分自身なのである。自分に降りかかる理不尽にこれでもかと全力でぶつかってゆくことこそが重要なのだ。浪人時代、環境のせいにしていた自分を恥じている。浪人は少なからず人を曲げる。自分の学力について気にする段階で順位や偏差値を気にせざるを得ない。自分がそうだったから。そんなことはないと思う方、どうかそのままでいて欲しい。それが正しい。でも、気づいたならすぐにでも辞めたほうが良い。大学に入ってからでもそれが出てしまうとうまく生きてゆけない。大事なところは他に移っていってしまうから。また浪人するにしても、親の承認や金銭的な負担の協力は不可欠である。感謝を述べるとともに、これからもまだお世話になるからと思うと頭が上がらない。

最後に、受験生に私からメッセージを送って終わりとする。

今春、桜の咲いた君たちへ。おめでとう。今君たちが噛み締める喜びはより一層香ばしくなっているだろう。でも、そのままではいられない。いい意味でこれから忙しくなるからだ。

今春、納得のいかなかった君たちへ。いままでやってきたから悔しいんだ。君の努力は無駄にならない。幸いなことにここ日本ではまだやり直しができる。資格に留学にいろんな経験をするのもありだし、どうしても入りたい門があれば大学はまだ君らを待っていてくれる。捲土重来を胸にガンバレ!

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